北海道胆振東部地震に偶然被災。被災から帰阪までの記録を写真と共に(後編)

03:08 地震発生

突然の横揺れのため目を覚まします。阪神淡路大震災、先日の大阪北部を襲った地震など大きな地震を何度も経験しており、冷静に震度4程度と予想。

しかし、12階に宿泊していたこともあり横揺れが次第に大きくなり恐怖を感じるレベルに。揺れが収まると同時にテレビを点けます。

これは簡単には大阪に帰れそうにないなと思った直後、停電。

ホテルの非常電源に切り替わり、部屋の非常ライトとオートロックのみ作動。この時点で水道は通常通りに使用できました。

大規模な余震に見舞われる危険があるため迂闊に外に出るわけにいかず、このまま朝まで部屋で待機することに。

07:00 起床

何度か余震に見舞われたものの、幸い本震を超える規模の揺れは無し。

外の被害状況を確認しにゆきます。

停電のため、当然ながら12階から階段を頑張って降ります。

まず向かったのはコンビニエンスストア。飲み物、朝食の確保のためです。

真っ暗な店内にはすでにレジ待ちの列ができていましたが、幸い食糧はまだ十分に陳列されていました。念のためシガーソケット⇔USB変換コネクターを購入。レジが稼働しないためお釣りを出さないという店側の方針のため、それ以上の物を購入できず。

イオンは、急遽店舗前に臨時の販売コーナーを設置し、パンや水、乾電池やトイレットペーパーといった生活必需品を販売。少人数にもかかわらず行列を非常に手際良く捌かれており、普段から災害時に備えてシミュレーションをされているのではと驚かされました。

09:30 レンタカーで旭川空港へ

同様に旭川に到着していた友人をピックアップし、ネットで情報収集を行います。

停電のため固定電話は不通となっていましたが、ネット回線は生きておりスマホが命綱となります。しかし、停電のため充電ができず、皆次々に電池残量0となり、もしシガーソケット充電器がなかったらと想像すると恐ろしく感じます。

元々翌日に新千歳空港から帰阪する予定でしたが、新千歳空港はダメージが大きくしばらく復旧が難しい状態であることが判明。

ダメージの少なかった旭川空港は発着便ともに運航しているとの情報を得て、キャンセル待ち航空券入手のため向かうことにします。

道中、ほとんどの信号が消灯しており、主要交差点では警察官による誘導が行われていました。

12:00 旭川空港到着

空港ロビーは、やはり同様にキャンセル待ちチケットを求める人々で大混雑。行列に並んで待っていると、ANA、JALともに1便ずつ臨時便の運航決定のアナウンスがあり希望の光が差します。

並ぶこと1時間、なんとかANAのキャンセル待ち「120番」を入手。実質キャンセル待ちは絶望的であり、臨時便に期待し、一旦空港を離れることに。余談ですが、ANAプレミアムカードを所持していた知人は列に並ぶことなく別枠でチケット購入されていました。年会費15万円と高額のカードですが、有事の際には心強いですね。

「セブンスターの丘」で有名な美瑛は、旭川空港から車で約20分の距離であり、せっかくなので少し観光を。写真は「青い池」。アルミニウムコロイドを含む粒子が太陽光を反射して美しい青色を見せるのだそうです。

15:30 羽田行き臨時便航空券入手

キャンセル待ちは、数人分ずつアナウンスで呼び出しされてゆく方式であり、基本的には空港内に留まって聞いている必要があります。しかし、120番という番号のためかなり時間的猶予が見込まれたこと、またレンタカーがあったため短時間ですが美しい北海道の景色を味わうことができました。ただ、本来新千歳空港店で返却する予定としていたレンタカーを旭川空港店で返却することとなり、ご迷惑をかけてしまいました(同じトヨタレンタリース内でも地区により経営母体が異なり、本来は乗り捨てできないとのこと)。

20:30 羽田空港到着

こうして奇跡的に地震当日中に北海道を出ることができました。

振り返ると、どこか一箇所でも選択ミスや判断の遅れがあれば恐らく全く結果は違っており、現に多くの知人がその後数日間にわたり道内滞在を余儀なくされていました。

災害時の脱出記録というものはあまりなく、本記事が今後少しでもお役に立つことがあれば幸いです。

被災地の一日も早い復興をお祈りし、また不幸にも今回の地震により亡くなられた方々に心よりお悔やみ申し上げます。

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